1982-04-13 第96回国会 参議院 外務委員会 第5号
準備がなく用意がないから黒船に襲われ、あのときにもアメリカのハリス、下田条約あるいは神奈川条約、あるいは帝政ロシアの軍閥がぼっこわれ軍艦を持ってきて恫喝をやって、クリミアで敗戦するロマノフ王朝の崩壊を導いたあの冒険主義者が自分たちの帝国主義の手を足を伸ばそうとして、ついにロマノフ王朝を葬ってしまった。
準備がなく用意がないから黒船に襲われ、あのときにもアメリカのハリス、下田条約あるいは神奈川条約、あるいは帝政ロシアの軍閥がぼっこわれ軍艦を持ってきて恫喝をやって、クリミアで敗戦するロマノフ王朝の崩壊を導いたあの冒険主義者が自分たちの帝国主義の手を足を伸ばそうとして、ついにロマノフ王朝を葬ってしまった。
それにもかかわらず外務省は慎重ですが、おととしの十二月、自民党の機関誌の月刊誌に聡明な通産官僚に書かせている、北方領土の原点は下田条約にありというような間違った考え方は外務省も賛成しないと思うが、自民党においては一つの憲法改正のそれが領土返還のエネルギーの根源とでも思っているような仕方をしますが、この黒船外交の桐喝に屈して日本の外交が自主性を失ったのは、ハリフと結んだところの神奈川条約。
武力だけで、恫喝外交でもって、ソ連とアメリカの軍部がなれ合いでやっているとしか見られないようないまの核兵器の恫喝は、明治維新前における黒船の米、ロシアの恫喝と同じであって、あれがために明治維新のときには神奈川条約、下田条約、腰抜けの幕府、主体性のない幕府の主体性をさらに崩して、尊皇攘夷、開国攘夷入り乱れた中にあっても、高邁な見識を持つ開国派の佐久間象山なりあるいは攘夷党の吉田松陰なり、ともに胸襟を開
やはり私は、政府が北方領土の日を二月七日に決めたときに、おかしなことを決めたものだとして、怪奇な眼でこれをながめたのですが、御承知のように、いまと同じような深刻な状態でアメリカと帝政ロシアとが黒船を持ってきて、神奈川条約、下田条約を幕府の腰の抜けているところをけ飛ばして、威喝してつくり上げたところのかなり一方的な条約でございます。
一国の、独立した国の権威というものは、主権というものは抽象的なものでなく、侍の気持ちを持ってやはり私は日本の国際的な危機を――徳川幕府における黒船に脅えて、屈して神奈川条約を結び、あるいは下田条約に屈したような腰抜け外交は真っ平だと思うのでありますが、園田さん、どうですか、この辺の診断のぐあいは。
それが翌年の神奈川条約の付録に、日本人は鉄砲を撃つなんというような残酷なことはしないから、アメリカ人もそういうことはやめてくれということがはっきりと出ております。国際条約におきまして、自然保護の条約のおそらく最も古い問題だと思います。日本人はそれほど優秀な民族であったのでございます。 ところが、百年間そういう教育は受けておりません。
○森元治郎君 ちょっと付け加えれば、もっとやさしい、庶民的な言葉を使えば、これは神奈川条約ではないかというようなことをフィリピンの民衆から突っつかれやせぬか。あまりけっこうな条約であって、何か、フィリピンが損したのではないかという感じを庶民は、反対派は持っておるのではないか。そういうこともあわせて答弁になれば、羽生さんの御質問に沿うのではないかと思います。
私どもは、はなはだ心外に考えておるわけでありますが、それで簡単な条文ですけれども、神奈川条約、これは一八五四年にロシヤと締結をした下田条約と言われているこの中に、第一条として「今より後両国末永く真実懇にして各其所領に於て互に保護し人命は勿論什物に於ても損害なかるべし」、それから第二条に、ここが大切なのでありますが、「今より後日本国と魯西亜国との境「エトロプ」島と「ウルップ」島との間に在るへし「エトロプ
○須磨委員 それはもちろんさように願いたいものであり、私も希望をいたすのでございますが、外交交渉というものはいろいろな内面の話のあることは、これはいろいろな事例に徴して明らかでございますが、ことに沖繩及びこれらの旧領土につきましては、私から申し上げるまでもなく、一八五四年、安政元年に神奈川条約を締結いたしましたついでをもちまして、沖繩とアメリカが条約を締結しておることは、御承知の通りでございます。
事実この問題は非常に複雑な問題でございますが、これらの基礎となるものは安政元年の神奈川条約とか、明治八年の交換条約とかいうものがはつきりと認識されることが、これに対する各国の意見の立て方の基礎になるものと思いますから、これらの資料を徹底させるという点の政府の御尽力、御努力について現在のところを説明して頂きたいと思います。